世の中には、いろいろな価値観で溢れています。
ひと昔前は、大企業に入れば安泰、いい学校を卒業すれば出世できる、何歳になったら結婚すべき、などなど・・・。今では、好きなことを仕事にするとか、自由な働き方を手に入れるとか・・・。
で、その価値観は時代とともに変化していきます。そもそも、一歩、日本を出たら全く違う価値観で溢れています。

以前、国際ボランティアをした方にお話をお伺いしたことがあります。
「恵まれない国に行って、何か手助けをしてあげるつもりだった。でも、その国の子どもたちの日常には笑顔があった。それが衝撃で、幸せについて考えさせられた」とのこと。

「幸せ」とは何でしょうか?

会社で評価されたら幸せ、彼氏と結婚できたら幸せ、経済的成功を手に入れたら幸せ・・・。
つい、欲望を満たすことも、幸せを手に入れることも、「他者との比較」で判断しがちです。
私も、もちろん他者と比較してしまうことがたくさんあります。

幸せの判断軸が自分ではなく他人にあると、それが満たされないと幸せではない=他人に満たしてもらおうとする「依存」になってしまいます。「会社が○○してくれない」「家族が○○してくれない」「恋人が○○してくれない」「時代が悪い」・・・=他責の世界。(厳密に言うと、このお話もあまり潔癖すぎると人間として生まれた意味を失ってしまうとも思います。誰でも他者との関わりを通して喜びや悲しみを感じるもので、その一つひとつが学びであり、良いも悪いもありません。)つまり、依存から行動しているか愛から行動しているか、健康的な相互依存かどうかだと思います。

限られた人生の時間の中で「自分がどうしたいのか」を実現できているか。それが、恐れからではなく、自己拡大からの選択かどうか。たとえそれが家族の問題など自分ではどうすることもできないことであっても、おかれた状況の中で「自分がどうしたいのか」はあるはずです。=自己創造の世界。

でも、一番の幸せは、自分の枠を超え自己拡大し続け、めいっぱい人生を体験して、血肉にして、智恵にして、美学にして、他者へ還元して、いつでもどんな出来事も受容し、幸せを感じられることなのではないかなと思うのです。

総じて言えば、「自分なりに精一杯生きること」。
命には限りがあると認識しないと、日常に流されてそのように生きるのは難しいこともあるでしょう。

そう考えると、幸せとは、かくも修行のように感じられるかもしれません。
修行のようになってしまっては本末転倒です。現実的なささやかな喜び、楽しみ、心の触れ合いを味わいながら、「バランスよく」が大切だと思います。

昔メンタル不調だった時に、「観念的に考えすぎる傾向があるからやめなさい。流行りのお店のケーキが美味しいとか、そういう現実的な楽しみを大切にしなさい」と言われた私が言います(苦笑)

欲があっていいんです。恋人とイチャイチャしたいと思っていいんです。女の子にモテたいと思っていいんです。幸せになりたいと思っていいんです。

どうか、あなたを苦しめている「他人を判断軸とした幸せ」は手放してください。

心穏やかに、日々暮らせますように、お祈りしています。