「カウンセリング」というワードで検索すると、「カウンセリング 役に立たない」というサジェストワードが出てきました。
そこで、この件について書いてみたいと思います。
私はかつて長らくクライアント側であり、人生が落ち着いてからは自分がカウンセラーの立場になりました。
もちろん、今でも利用していますが、今は昔に比べて「意図的に」「目的を持って」利用しているイメージです。このことについては後述します。
かつてのクライアント真っ只中だった時代、つまり、人生がかなりうまくいっていなかった時代、私は月に1、2回ほど電話カウンセリングを利用していました。
泣きながら電話していたこともあるし、怒りを抱えて話していたこともあるし、おそらく「もう消えたい」のような発言も多々していたと思います。
自分なりの幸せを手に入れた今、その頃から今日までのことを振り返り、「カウンセリングは役に立たないのか?」と考えると、、、、、
私はやっぱり役に立たないとは思わず、「役に立った」と思っています。
(じゃなきゃカウンセラーやらないか)
ですが、ニュアンスが違うんですよね。「カウンセリングが役に立った」というよりは、「カウンセラーさんが、いつも寄り添ってくれていた、近くで応援してくれていた」と思っています。
なので、カウンセリングの内容が役に立ったのか?と問われれば、細かいセッションの中身はもう覚えていない(笑)のです。
それでもあえて書くとするなら、話を聞いてもらうことで心が軽くなった、偏った視点をニュートラルにしてもらった、承認してもらった、など、いろいろあるとは思うのです。
ですが、毎回「あーすっきりした!」で終わるわけもなく、もやもやしたまま終わったり、やっぱり次の日にはすぐ泣いてたりしたわけです。
私が一番印象に残っているカウンセラーさんの言葉は、継続カウンセリング4年目の頃に、ふとした時に出てきた「今まで4年間よくがんばってきたよ!あと4年がんばれ!」というものです。
これだけ見ると、カウンセリングなの?って思いますよね(笑)
頑張れってうつ気味の人には禁句じゃないの?とかそういうミニ知識もよぎりますよね?(もちろんその時はうつ状態ではなかったですが)
ままならない私の人生、お先真っ暗だと思っている私の人生を、カウンセラーさんは「未来は明るい」と信じてくれていたんです。
本当に、カウンセラーさんの心の底から出た本心の言葉だったからだと思うのですが、私はガツンと衝撃を受けて、力が湧いたし、自分には応援してくれる味方がいるんだと思えたんですね。
もちろん、それまで4年間継続的にカウンセリングを受けてきた信頼関係があるからこそ効いたのでしょう。
(ちなみに、本当に4、5年後は人生が落ち着いて幸せになっていました)
結論として、私はカウンセリングは役に立たないとは全く思わないけれど、カウンセリングのセッション1回だけを見れば、「役に立たなかった」という感想もあって当然なのかもしれないな、と感じています。
そして・・・
前述したのですが、現在は昔に比べて「意図的に」「目的を持って」カウンセリングを利用しています。
今日は気分が重いから話を聞いてほしいな。ちょっと大事なターニングポイントだから、話をして自分の気持ちを見つめたいな。
など、そんな感じです。
心のメンテナンスのためにカウンセリングを利用しているので、もはや「役に立たない」ということではなく、「自分の心の安定ために役立てている」という認識です。
* * *
話は少し変わって、私の尊敬している方が、「カウンセリングは役に立たなかったと思われているくらいがちょうど良い」とおっしゃっていたことがあります。
それは、カウンセラーが指示的な影響を持つことで、クライアント自らの生きる力、前に進む力を奪ってしまうことのないように。という戒めのように受け止めました。
私は、過去を振り返って「カウンセラーさんが、いつも寄り添ってくれていた、近くで応援してくれていた」と思っているけれど、決して指示的だったことはないし、自分の力で生きること、前に進むことを応援してくれた、と感じています。
自分がクライアント側だったころの経験を参考に、かといってクライアントさんの人生はオンリーワンのものなので、経験だけに頼ることなく、専門職として気をつけるべき点には留意しつつ、かといってそれに縛られすぎることなく、この仕事と向き合っていきたいな、と思っています。