私はもともと自己肯定感が低かったのですが、精神疾患で入院し、復職してからは自己肯定感がどん底に陥り、職場でパワハラやマウンティングの的になってばかりでした。

例えば15人〜25人くらいの企業で、他の人にはそういう言い方をしないのに、私には「強い口調で怒鳴られる」「無理難題を押し付けられる」「不条理に扱われる」「何でもお前のせいと責められる」ということが、会社を変えても必ず起こっていました。今から考えれば、理由は歴然。それは、「何でも許してくれそうだから」「おおらかで怒らなそうだから」これは、実際に本人に面と向かって言われたので確かです(笑)

ただ、他人は自分の内側を見せてくれる存在だという観点で振り返ると、「自分で自分を大切に扱っていなかったから」「自尊心がなかったから」だとも思うのです。自信が無さそうとか、いつもニコニコしているとか、私に、パワハラやマウンティングされる要因があったと考えています。裏を返せば謙虚さや協調性の現れなのですが、当時は自分に自信もなく、NOと言えなかったし、自分が我慢すればいいんだ、自分にも足りないところがあるんだ、という気持ちが強かったと思うのです。

何それ、する方が悪い!と思うかもしれませんが、そう思わないと、私の経験が浮かばれません。他人を許すことは、「自分を大切にしなかった自分」「パワハラやマウンティングを許してしまった自分」を許すことでもあるのですね。

それは、恋愛でも同じことが言えると思います。お互いに大切にし合うのではなく、自分ばかりが与える側で辛い思いをしたり、いつもDV気質の男性と付き合ってしまったりする方もいらっしゃるのではないでしょうか。


次に、パワハラやマウンティングの対象になることを、どう終わらせていったか、というお話をします。

「自分で自分を大切に扱っていないから」「自尊心がないから」というのはうすうす感じていた頃のことです。ある時、社長から30分間、まったく関係のない事案でただ単に八つ当たりされている時、私の中で何かがプツンと切れたのが分かりました。怒りだな、と認識しました。私は怒っているのだな、と初めて感じたのです。抑圧していた怒りが、顔を出しました。

どうしてそれを許してしまったのだろう。NOと言えなかったんだろう。自分に足りないところを見つけて頑張ったり内省できることは長所であり、マウンティングされる筋合いはない。あなただって、誰だって、足りないところはあるし、言いやすい人にだけ圧力をかけるというのは人として許せない。馬鹿にするな。

そして、その怒りを伝えました。感情的にならずに、冷静な、理路整然とした語り口の怒りです。完全な理詰めです。でも、普段ほんわかニコニコしている人がいきなり怒りをあらわにすると、相当のインパクトを与えるようで・・・パワハラやマウンティングはその日から止まりました。

その時に私の中で、何かが変わったのを覚えています。ものすごく興奮していました。それ以来、私は自分のことをちゃんと大切にしようと固く、固く決意したのです。

独立して環境そのものを変え、少しずつ自尊心を育てていくと、いつの間にか、周りは優しい人たちばかりになりました。

現実は、自分がつくっている。天災や災害や事件は別ですが、そう思えれば、自分で現実を変えていける「人生の主導権」を握ることができます。厳しさもあるけれど、自分の選択に納得感を持って生きていくことができます。

今から振り返れば、私にパワハラやマウンティングをしてきた人たちには感謝しかありません。あのことがなかったら、私はずっと自尊心のない状態で生きていかなくてはならなかったでしょう。私が今の私になれたのは、パワハラやマウンティングをしてきた人たちのおかげです。

彼らも、そうすることでしか保てない何かがあった。彼らにも自尊心や自己肯定感がなかったのかもしれない。コンプレックスがあったのかもしれない。それはとても切ないことです。人は日々変化していますから、彼らも人生の旅の途中だった。パワハラやマウンティングをしなくてもいい人生を歩めていますように。そう願うばかりです。

この記事を読まれたということは、パワハラやマウンティングに悩んでいる方も多いのかもしれません。ぜひ、自分を大切に扱って、お互いに大切にしあえる人たちに囲まれて生きていっていただきたいのです。自分の存在価値を認め、自分を大切にして、NOと言える練習、一緒にトライしてみませんか。