「自分のせい」「自分は迷惑をかけている」「自分は価値がない」そんな罪悪感を持っていると、周りの人を敵にしてしまうことがあります。

例えば、上司が職場でが何気なく「もう疲れた」と言ったとします。

自分が部下として、上司に対して罪悪感を持っていると、「自分のせいなのでは?」「自分が負担をかけているから」と捉えてしまったり、あたかも責められているように感じることもあるでしょう。そして、「あの上司、なんか嫌だ」と感じてしまったり、自分が居心地が悪くなってしまったり。でも、本当のところ、あなたのせいなのかは聞いてみないとわかりませんよね。

また、家で奥さんが深いため息をついたとします。

旦那さんの中に「俺は妻を幸せにできてない」といった罪悪感があると、ため息を聞いただけで、「俺のせいだ」と感じ、「疲れて帰ってきてるのに、ため息をつかないでくれよ!」と攻撃したとします。奥さんからしたら、「家なんだから疲れてる時はため息くらいつかせてよ」「なんでそんなに怒られないといけないの」と感じます。

他にもいろいろな例があげられそうですが、自分に罪悪感があると、他者の言動や行動を、「自分のせい」に結びつけ、怒りや攻撃になったり、引きこもりになったり、気持ちが落ち込んだりしてしまうんですね。

ツタが生えたビーチの写真

敵とまでいかなくても、罪悪感は「受け取れない症候群」をつくってしまいます。

例えば、誰かがあなたのことを「好き(恋愛感情に関わらず)」と言ったとします。でも、あなたは自分の中に根深い罪悪感を育ててしまっていて、「愛される価値がない」と(無意識で)思っているとします。すると、あなたはその人の好意を拒絶してしまい、好意を抱いた方も、拒絶された気持ちになります。

罪悪感を持っていると、プレゼントをもらう、何かをしてもらう、助けてもらう、好きになってもらう、など「受け取る」ことができませんので、喜んで与えている方は悲しい気持ちになってしまうんですね。

ですから、罪悪感を手放し、自分の価値を認めて、喜んで受け取ること。これは、人のため、与えることでもあるんです。

また、罪悪感があると、自分の中の「愛」を否定することになりますから、「自分なんて誰かを愛したり、喜ばせたり、役に立ったり、そんな力はない存在だ」というセルフイメージになってしまいます。

すると、積極的に与えることができないんですね。そして、与える機会がなければ、人に喜ばれる機会、人の役に立つ機会が少なくなってしまいますから、どんどん無価値観はふくらんでいき、人との絆が失われていきます。

与えることは、相手から受け取ることでもある。(自分は人の役に立つ人間だ、喜ばせられる人間だという、自分の光の側面を受け取っている)

受け取ることは、相手に与えることでもある。(相手が、自分は人の役に立つ人間だ、喜ばせられる人間だと感じられる機会を与えている)

だからこそ、罪悪感はいらないんですね。

罪悪感を癒していくと、周りの人が敵ではなくなっていきます。孤独ではなくなっていきます。

罪悪感を癒していくには、受け取ることより、与えることの方がハードルが低いように感じています。長年、自分は罰せられるべき人間だと思っていると、受け取ることはかなりハードルが高いんですね。

まずは、「伝えられていなかった感謝を伝えてみる」「人の光の側面をみてあげて、伝えてみる」など、与えることにチャレンジしてみませんか。

与えたものは、どこかで返ってきます。それと同時に、人との絆も取り戻すことができ、罪悪感を癒す助けになります。

できることで、ささやかなことでいいんですよ。

あなたの罪悪感は、幼少期から今に至るまで、どこかのタイミングで深く刷り込んできてしまったのでしょう。

ですが、罪悪感は間違いなんです。

それらを紐解いて、解きほぐしていくお手伝いを、カウンセリングを通してさせていただきますね。